一般的に、小学校高学年の算数の山場と言えば
割合と速さの問題の様です。
先日、このような新聞記事を見つけました。しかも話題を
かもしだした「明光義塾宇土教室」ってめっちゃ
地元だったので、そく反応してしまいました。
皆さんはこの記事を読んでどう思いますか?
結局は、どのように子どもを育てたいか、
どのような力を子どもにつけてあげたいのか
という問題のような気がします。
納得して理解し応用がきくように育てたいのか?
理屈は分からなくても覚えて丸が貰えるように育てたいのか?
あなたはどちらでしょう?
明光義塾松井教室長は、「はじき」「くもわ」は割合とは何なのか、速さとは何なのかを理解せずとも、ただ答えを出すことを可能に
してくれる道具 ただ点数を取れれば何でもいいそんな教育を
学校で行うべきではないと指摘。
それに対して、
せっかく覚えやすく視覚化しているものを
禁止しても余計に分からなくなる子が増えるだけ、この図には
何度も助けられたなどと反論が寄せられた。
とありますが、
私的には、ただ点数を取れれば何でもいいそんな教育を
学校で行うべきではないという
明光義塾の松井章大教室長に賛成です。
「せっかく覚えやすく視覚化しているものを
禁止しても余計に分からなくなる子が増える」
残念ながらこの反対意見、子どもの力も信じていないし、
分かるとはどういうことか理解するにはどうすればいいのか、
教え方も全く分からない人の発言だなぁと思います。
ま、こういう覚え方を全く禁止しなくてもいいかも
しれませんが、単に教えられた通りにすれば点数が
とれるような方法ではなく、まずは子ども達がしっかり理解できるような
指導方法を検討したほうがよいかと思います。
余計に分からなくなる子を増やしてしまう
教育を行っていることに早く気が付く必要があります。
「この図には何度も助けられた~」
厳しい言い方をしますが、もし自分で考える
ことが出来なくなってしまったら、
こういう道具に頼るしか道がないということです。
分かっていなくても一応点数はとれますからね。
体裁はつくろえます。
さらに、算数や数学を「公式を覚えて数字を当てはめるもの」という
考えがしみついた子は、小学段階では100点を取れるが、中学
になるとすぐにつまずく。」
それは、どんぐり倶楽部でいう、満点落ちこぼれ現象、
まさに、それは私の子どものころの様子と同じ。
考える力、応用力がなければ、数学すら暗記
科目になってしまう、高校数学が全く分からず、
テストは解答や解法パターンを全て暗記という方法で
乗り切っていた私のようになるのは目に見えています。
自分がそうだったので教室長のお話はよく分かるし、
私のような悲惨な子どもをこれ以上世に生み出したくない
という思いでいっぱいです。
「理屈は後でもいい。まずは問題をとけるようになる
ことが大事。問題が解けて丸をもらえれば、
よほどの向学心がない限り、後から理屈を考えることは
しない。」
まったく分かってないのに、丸をもらってほめられて
嬉しいでしょうか?完全に子ども達、ばかにされています。
「よほどの向学心がない限り、後から理屈を考えることは
しない。」ように、育てているという事にはやく気づいて
修正するべきです。
頭が、教えられたことを覚えて反射的に問題を解くという
コピー回路になってしまってから、
理屈を考える(自分で工夫して解く)のははっきりいって
難しいです。
軌道修正できればいいですが、手遅れになって
しまっている場合が多いです。
割合、速さ・・・
公式なんて使う必要全くありませんよ。
学童期には公式を知っている、覚えて使える、
答えがあって点数がもらえるということよりも、
そんなものは使わなくても
自分の力でなんとか工夫して答えを出すために
あれこれ考えてみることの方がよっぽど重要です。
ではどうやって解けばいいのかと
いいますと。
やっぱり、自分で絵図を描いて考える事。
これにつきます。これ以外にはありません。
絵図を描いて考える具体的な方法については
詳しくはここでは説明しませんが・・・
まずは、問題を解けるようになることではなく
速さや割合をイメージできるようにすること
割合ってこういうことなんだなと自分に
なじませること
これが何よりも大切なことです。
公式も使わず、計算もほとんどせずに
楽勝で割合や速さの問題を解ける方法がここにあります。
その例を見てみる➡『割合・百分率の問題』どんぐり問題6MX93
フンボルト族とマゼラン族の陸上旅行問題
~絶対教えてはいけない問題~
数学に公式はいりません。きはじ、も、くもわ、も本末転倒。
絵を描いて解ける能力がなければ、算数や数学を学ぶ意味はないです。
クラスの平均点が低いのを、生徒のせいにしている先生が悪いと思います。